以前のことですが、ご門徒のお宅で法事がありました。 読経の後のお斎の席で、隣に座った年配の男性から話しかけられました。その方は特に日本の歴史に造詣が深い方でした。私は子供の頃から、日本の歴史が好きでした。なかなか普段そんな話をする機会がないので、嬉しかったのでしょう。話はとても弾みました。 すると、その方が「ごえんさんならご存知でしょうけど…○○○」と言われました。話の内容はよく覚えていないのですが、日本の仏教のことでした。 私は分からなかったのですが、つい「はいはい、そうですね。」と答えました。 すると、どんどん話はその話題で進んでいきました。私は「困ったな。でも今更知りませんなんて言えないし。」という思いを抱えながら、知ったかぶりを続けました。お斎の後で苦々しい思いが残ったことを、今でもはっきり覚えています。 振り返ってみれば、正直に知らないといえばよかったのでしょうが、そう言えませんでした。「若いから○○○」と思われるのが嫌だったのでしょう。衣を着ていると、なおさら言いづらいということもあります。 昔は知らないと普通に言えたことが、今では言えなくなりました。大した経験もないのに、その経験が、あだとなるのでしょうか。自分を飾りたい、飾らずにいられないのです。自分で自分を窮屈にしているのかもしれません。 知らないことを知らないということによって、新しく知ることができるのに、それを拒んでいます。ありのまま生きることは本当に難しいです。
|