暖い日差しが心地よい時期となりました。春の法要の季節ですね。私がお寺の法務に携わらせていただいてから一年が過ぎました。 この法話を聞いているほとんどの方も運転の経験があると思うので大変恥ずかしいのですが、去年の五月に人生で初めて車を購入しました。自分の車を運転するのは緊張するものです。スピードの上げ下げや方向指示器を出すタイミングなどわからないものです。ハンドルを握る手には余計な力が入ってしまいます。しかし、三ヶ月も経過してくると、慣れといいますか慢心が出てきます。なんの根拠もないのですが自分は大丈夫、事故はしないと思えてくるので不思議です。運転が上達したわけでもないのに安心しきっています。 秋になり駐車場で駐車をしようとバックしていると、勢い余って下がりすぎてしまい、後ろの石垣に衝突してしまいました。その時「やっぱりな」と思ってしまいました。大丈夫には根拠がないと頭でわかっていても・・・事故という現実に直面して初めて思い知らされます。それはただの思い込みだったなという事です。
頭の中では大丈夫だと思っていても、それはただの妄想だったのだなと感じさせられます。 そんな自分を振り返ってみると、現実から逃げたいという思いがあるのかもしれません。車の運転は、時として死亡事故という大きな悲しみの結果を招く事にもなりかねません。テレビや新聞を通じてその事にふれながらも、なかなか自分の身に起こると考えるのは難しいものです。車の運転は移動が便利な反面そういった危険な面もあります。しかし、普段からなかなか考えにくいのではないでしょうか。 また、以前韓国旅行に行った時の事です。一人旅でモーテルに泊まりました。 六人での相部屋だったのですが、自分の貴重品を枕元に置き熟睡してしまいました。起きてみると、自分の貴重品がありません。貴重品を盗まれた事に気がつきましたが、その時はもうどうすることもできませんでした。部屋には簡易金庫があったのですが、自分はスリにあうはずがないと油断してしまっていたのだと思います。
日々の生活でも、自分にとって都合の悪い事は意識しない自分がいるのかもしれません。
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