2013年5月5日付の中日新聞、「中日春秋」に次の一節があります。 「震災後、「夜回り先生」として知られる水谷修さんに、宮城県気仙沼市の若い女性からメールが届いた。かつてリストカットを繰り返し「死にたい」と言い続けた子だ。津波で家を失い、家族で避難所にいた。救護班の一員となり、おばあさんの体をずっとさすっていると、泣きながら「ありがとう」と言われ、人のために何かをすることの意味を知った。「死にたい」と言ったことを恥じ、将来は医者になりたいと伝えてきた。」 この一節を読んだ時、私は金子大榮先生のことばを思い出しました。
やり直しのきかぬ人生であるが、見直すことはできる。 私たちは、日々の生活の中で、ほんのささいなことでも「あの時、ああすればよかった」とか、「もし、時間が戻れば、もっとよい選択をしたのに」と過去を振り返ります。 しかし、当然のことながらやり直すことはできないですし、時間が戻ることもありません。私たちの人生に「もしも」といったことはありえないわけです。自分にとって、不都合な事実も受け入れていくしかないのです。 東日本大震災で家や多くのものを失ったという事実の中で、彼女は、救護班の一員となり、おばあさんの体をさすったことから、おばあさんに感謝されます。そして、人のために何かをすることで、生きることの意味を見つけます。恐らく、その時に、彼女はこれまでの人生を見直すことができたのでしょう。 やり直しのきかない人生だからこそ、自身の生き方を見つめ、見直すことで、次は、同様の失敗を繰り返さなかったり、よりよい選択ができるようになるのでしょう。 そして、そのことから、より豊かな人生が送れるようになるのではないでしょうか。
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