20代半ばに一年間のスペイン留学を経験しました。 小学生のころから海外に興味を持ち、いつか留学することが悲願だった私。 皆が口々に「おめでとう!」「頑張ってね!」と祝福する中、恩師からの言葉は少し他の人たちのそれとは違っていました。 ――留学おめでとう。でもスペインに行けてもよし、行けなくてもよし。親鸞聖人が伝えたかったことはきっとこのことではないでしょうか。 渡航を目前に控えた私に向かって、「行けなくてもよし」とはどういうこと? 実は当時よく意味が分からず、その真意を先生にお尋ねするタイミングも逃した私は、スペインにいながら時折この言葉を思い出すのでした。 留学するぞ!という思いをずっと温め続け、諦めなかったのは私の努力の賜物だと思っていました。ところが、それはどうも違っていたようだということが、だんだん分かってきました。偶々留学するだけの縁が同時に揃ったというだけのことで、決して始めから私一人の力ではなかったのです。 親鸞聖人がお記しになった言葉の中に「柔軟心」というものがあります。心を落ち着かせ柔軟に考えられる心を指すのだそうです。 もしあの時スペインへ行けなかったとしたら、私が私でないような気がして、悔しさでいっぱいになったでしょうか。或いは「自分のスペイン語が下手なのは留学できなかったせいだ」と劣等感を抱いたでしょうか。 留学をすることだけが自分を輝かせるものだと信じて疑わなかったのは、実は私の勝手な考えで、そこに「行けなくてもよし」とする柔軟な発想は、当時の私にはあまり無かったように思います。 人生には数多の岐路があり、そのたびに人は選択を迫られることがあります。 しかしながら、自分で決めた道がベストと思っても、縁が整えば失敗もするし上手く行かないこともあるということを、私たちは頭に入れておかなければなりません。 「こんなのは私ではない」「こんなはずじゃなかった」という頑固な思いは、時として自分の中に勝手な制限を作り、ストレスを生みだします。 思い通りに行かなくても「こんなこともあるよね」「スペインに行けなくても、それと近いような日本でできることを探してみよう」と気持ちを切り替えることで、別の新しいご縁を頂くことに繋がってゆくのです。
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