ほとんどの方は、仏壇と呼ばれていることが多いと思います。しかし、真宗では「お内佛」と呼ばなければなりません。恥ずかしながら私も仏壇と呼んでしまうことがあります。これは単に呼び方が違うだけで、意味は同じというわけではありません。 「お内佛」とは、内なる佛と書きます。「内なる佛」とは、内なる本堂であり、道場ということです。どういうことかと言いますと、「お内佛」というのは阿弥陀如来の本願成就の世界であるお浄土を具象化したものです。その「お内佛」の前に座り、手を合わせ合掌し、お念仏を称える。そこには教えを聞く場、聞法する場が開かれるのです。つまり、その場が本堂であり、道場となるのです。私たち人間の姿を知らせていただく場なのです。 では、仏壇とはどういうものなのでしょうか。私たちが「仏壇」という時、お位牌であったり、お骨であったり、写真であったり、ご先祖の方々を祀る壇という意識ではないでしょうか。 真宗においては位牌や写真を仏壇に安置することはありません。しかし、皆さんにとっては、お寺の本堂と違い、ご自宅にある「お内佛」というとお参りする対象はご先祖の方々となりがちでしょう。ですが、真宗では「先祖供養」についての考え方が違います。 仏教とは、今生きている者の為にあるのです。お参りというと亡くなった方を「成佛させたい」という思いの方が多いと思いますが、私はこう思うのです。 残された私たちは「成佛してほしい」つまりお浄土に行ってほしいとお参りしているのでしょう。ですが、いつまでも「成佛してほしい」では、ご先祖が迷っているということになってしまうと思うのです。つまり、「成佛してほしい」という思いが、お浄土へ行っていないということを、自分で言い表しているのです。 亡き人は阿弥陀如来のおられるお浄土へ行かれたんだ、残された私たちは自分の為に教えを聞こう、でいいと思います。お気持ちもあるでしょうから、強制するものではないですが、本来の「お内佛」の在り方、なぜ「お内佛」と呼ぶのかなど、考えてみてはどうでしょうか。
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