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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

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テレホン法話 2013年  

  放送日 タイトル 法 話
472 2013年10月11日〜 無量のいのち 第6組念教寺 野村正宏

 先日、あるお参りの席でこんな話がありました。「この前、葬式に出たらお(とき)に赤飯が付いてきた。あれは寿命を(まっと)うしたお祝いっていうことやろ」
 たしかに地域によっては骨上げ後のお斎に赤飯がでるところがあります。
また、別の人が「どこかの国は霊柩車を見たら縁起がいいで、賭け事をしに行くらしい、まあ葬式っていうのは縁起物っていうことやな」と言われました。すると、その会話を聞いていた別の人がぽつりとこんなことを言われました。「それ若いのが死んでもか・・・」
 インドの昔話にこんなお話があります。昔々、きびしい修行にはげむ、若いお坊さんがいました。ある時そのお坊さんが修行をしているところへ、タカに追われたハトが飛んできました。お坊さんはそのハトを助けようとします。
するとタカが言います。「お坊さま、そのハトを私に渡して下さい、そうしなければ私が飢え死にしてしまいます。」 
 するとお坊さんは「それはできない、どんな理由があろうと、他の命を奪ってはいけない。その代わりに、このハトと同じだけの食べ物をお前にやろう」と言って、自分の体の一部をタカに与えることにしました。そして秤の片方にハトを載せ、もう片方に自分の腕を取って載せました。すると秤は、自分の腕よりも小さく見えるハトのほうに傾きました。ならばと自分の足を取って腕に加えて秤に載せますが、まだハトの重さに足りません。
 その時、お坊さんは気づきました。「そうか、私は思い違いをしていた」と言って、ハトよりも数倍も大きいお坊さんの全身を載せた時、秤は等しくつり合いました。
 私たちの側から見れば、年配の方が亡くなれば「長寿を全うした大往生だ」「あそこまで生きれば十分だろう」となり、若い人が亡くなると「かわいそうに・・・まだ生きたかっただろうに」と思うかもしれません。しかし、いのちとは本来、大きさや数や重さで比べられるものではありません。それを仏教では無量と言います。
 私たち人間だけでなく、この物語に出てくるハトなどの動物も、私たちの秤で量る事の出来ない無量のいのちを生きているのです。



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