2011年にお寺の住職をしていた父が亡くなり、早2年余りが過ぎました。 思えば長いようで、あっという間の二年余りでした。 父の病が判明したのは、亡くなる約一年前のことでした。体調がすぐれず、病院に駆け込んだときには、すでに末期の癌でありました。 その日から、父の闘病生活が始まりました。「おはよう」と朝のあいさつをして、「おやすみ」と眠る毎日は端から見れば何気ない日々であったでしょう。 ある日も、ありきたりなのどかな春の日でした。父は朝の光を浴びて窓から外をみていました。窓の向こうに、桜の花びらが舞い散っているのを見て、父は、「春だなあ」とぽつりと言って笑いました。その笑顔は病のため、やつれてはいましたが穏やかで光り輝いており、思わず、はっと息を止めてしまいました。父の命は今にも消えそうなものではありましたが、全身から力強いエネルギーを感じたのです。 それから間もなく、父は命を終えていきました。 今年、父の死後に植えたアサガオに花が咲きました。その花は育ちも悪く、普通の花より一回りも、二回りも小さいものです。しかし時には周りの障害物を乗り越え四方八方につるを伸ばし、ひっそりと花を咲かせては、しぼませていきます。誰も見ていないのに、家の取り付けエアコンの中にまで入り込んででも、その細いつるの先にはちゃんと花があるのです。 そのアサガオの姿は、命の終わりに向かって光り輝いていた父の姿と重なるものがあり「自分のいのちを自分らしくキラリと生きてね」と、語りかけてくれるようでした。
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