先日、知人の結婚式に参加いたしまいた。結婚式は、今風のホテルのチャペルでの式で、私としては少し抵抗もありましたが、初めてのチャペルでの式だったので、興味もありました。式の中では、讃美歌など合唱などもあり、二人を祝福した流れでした。
その式の終盤、外人の女性の牧師さんが、二人にむかい「神の前で誓って下さい」と二人の結婚の誓いをされたのですが、「神の前で誓って」ということに私は違和感を感じてしまいました。人生の中でも、とても大切である結婚ということの二人の誓いを、信仰もない神の前で誓うということは? 式を終え、自宅に戻り、「神の前で誓って」という違和感を振り返る中で、「じゃあ、お前はどうなのか?」と、そんな問いが私の頭の中に湧き上りました。
私は、真宗門徒であり、僧侶である。九歳の得度、学生のときの修練、本堂での結婚式、そして住職就任、ご本尊を前にして誓ってきた。その時々の誓いは、本当に誓ってきたのだろうか。私が思うご本尊での誓いとは、ご本尊、阿弥陀仏の教えをよりどころとし、親鸞聖人を師として生きていくことです。私は適っているのだろうか。私は、ただ自分が置かれた環境が浄土真宗の寺院だっただけのこと。信仰した生活がされているのだろうか。
また、ご門徒さんの中でも、何となくご先祖から「うちは、浄土真宗の門徒だよ」と言い伝えられてきただけで、その中身については、考えたられたことのないお家もあります。ただ浄土真宗という看板だけの寺であり、門徒ではないだろうかと。 信仰もない神の前で誓うなんてと思えるような身であるのか。これは、自分の単なる傲慢な思いに過ぎないし、寺という信仰の環境にいるだけで、本来の私のご本尊での誓いの中身が問われます。
知人の結婚式を通して、傲慢な自分を知り、私が本来確かめていくべきものを知らされた思いです。
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