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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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 テレホン法話 2014年  

  放送日 タイトル 法 話
490 2014年4月11日〜 親の思い 第18組願信寺 北條貞行

今年になってから、私の近いところでいくつかの新しいいのちの誕生がありました。そのいずれもが、両親にとっては第一子であり、祖父母にとっては初孫としての誕生というものでした。
 いずれの家族でも、この新たに産まれてくるいのちに対して、ある思いを持っていました。それは「無事に生まれてきてくれたらそれで十分」とか「元気でさえあればそれで満足」といったものでした。
 私には二人の子どもがいますが、自分自身に置き換えてみても、かれこれ10数年前のことですが、まったく同じ思いであったことを記憶しています。
 「無事に生まれて、元気に育ってほしい」
 赤ちゃんの誕生を待ちわびる家族や生まれたばかりの赤ちゃんを持つ家族にとっての思いは、まさにこの一点に尽きるのではないでしょうか。
 ところが、子どもがだんだんと成長するにしたがって、少し様子が変わってきます。親の子どもに対する見方や接し方が、子どもの成長とともに変化していくのです。それはどのように変化していくのでしょうか?
 誕生するまで、もしくは誕生してからしばらくの間は、「無事に・・・」とか「元気で・・・」といった思いだけであったものが、しだいに「勉強ができるように・・・」とか「運動ができるように・・・」といったように、それまでの単純な思いだけではなく、親の希望というよりも願望が前面に押し出されたものへと変化していくのです。
 では、どうして親の思いがこのように変化していくのでしょうか?
 それは、我が子が誕生する前に抱いていた「無事に・・・」とか「元気で・・・」といったことが、今ではすっかり当たり前のこと、当然のことになっているからです。
 人は誰しも、当たり前になったことに対して、何の感情も示そうとはしません。むしろ当たり前ではない、もっと高みを望んでしまうものです。
 しかし、当たり前であることが何らかの原因で崩れた時、人は気付かされるのです。当たり前に思っていたことが、実は当たり前ではなかったことに・・・。
 私は、今回の新たないのちの誕生に接することで、「親の思い」の名の下に、自分自身の価値観を押し付けている自分の存在に気付かされました。子育てしていく上で、反省しなければならない点がいくつもあることに気付かされました。
 今一度、我が子が産まれた時の「親の思い」を、再確認したいものです。



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