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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

TEL. 0584-78-3362

〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

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 テレホン法話 2014年  

  放送日 タイトル 法 話
505 2014年9月11日〜 旅先での出会い 第1組願宗寺 牛屋良夫
 先日、同窓会に向かう途中、遅刻しそうだったのでタクシーに乗りました。
その運転手さんが、こんな話をしてくださいました。
 成人して間もなく両親が亡くなり、借金さえなかったものの、一円の貯えもなく、小学生の弟と二人で生活してきたとのことです。大学を辞め、六畳一間の部屋を借り、とにかく弟にご飯だけは食べさせようと必死で働いたのだそうです。
 最後にこう言っていました。
 『考えてみたら、私などは、両親が元気でいてくれたら、ろくな人間になってなかったかもしれない。お金を残してくれたら、こんなに一生懸命働かなかったかもしれない。幼い弟がいなければ、寂しくてしょうがなかったかもしれない。両親はいない、お金はない、しかし幼い弟がいる。私は本気にならざるを得ませんでした。私を大人にしたのは、両親が一緒に亡くなってくれたおかげです。』
 普通なら逃げ出したくなるような人生かもしれません。運転手さんにとっては、両親の死というご縁を真っ直ぐ受け止め、むしろ積極的に転じたのでしょう。
 お釈迦様も、生まれて一週間で母を亡くされました。一国の王子で不自由なく育ったと言われておりますが、このような言葉を残しておられます。
『世に母性(はは)あるは(さち)なり、父性(ちち)あるもまた(さち)なり。』
 幼子(おさなご)にとって母を亡くすということは、非常に大きな出来事です。私の勝手な想像ですが、もしかしたらお釈迦様は、母の死がなければ、ご出家されなかったかもしれません。母の死というご縁を得て、深い苦しみ、悲しみが仏法に転じた、そんな気がします。
 人は、多くのご縁によって生かされていることに気が付くことで、初めて自分の命に出会うのではないでしょうか。南無阿弥陀仏の『南無』は、すべてを阿弥陀仏に(まか)せていくということですが、どうしても自分にとって都合のいいことだけをご縁と読んではないでしょうか。
 ()り好みしないことが『すべて任せていく』ということだと思います。


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