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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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 テレホン法話 2016年  

  放送日 タイトル 法 話
543 2016年2月16日〜 偽善者 第6組 明徳寺 藤 浩文
 昔、次のような話があったようです。
 寒い冬に橋の下でブルブル震えている乞食(こじき)を、たまたま通った禅僧(ぜんそう)が見て、着衣を脱いで投げ与えた。それを着た乞食は、ジロッと見ただけで何の言葉も返ってこない。たまりかねた禅僧が「どうだ少しぐらいは暖かくなったかな?」と声をかけた。すると「着れば暖かいに決まっている。わかりきった事をなぜ聞くのか。与える身分を喜べよ。」と。即座の返答に見返りを待つみえみえの礼の催促をする心をみすかされて、僧は恥をかいたという。
 人は、良いと思ってした事を相手が誉めもせず、感謝もしないとあんなにしてやったのに、と途端に腹が立つ。恩着せ心の(かたまり)である。時にまた、我々は恩を着せられると腹が立つ。自分がしていることを、相手にされると腹が立つのである。
 逆境の人をあわれみ悲しんでふと気が付き“慈悲(じひ)深い我”と得意になっている(みにく)さに驚くのは、心から善に向かった者だけである。親鸞聖人が、自己のすべてを『雑毒虚仮(ぞうどくこけ)』他人(だま)しのうそっぱち、と(なげ)かれたのは、無明(むみょう)(やみ)が晴れ、知らされた真実の自己の姿である。しかし、どんな情けない存在と痛感している人でも百パーセント悪いと思ってはいないだろう。反省ぐらいはしてみても、どこかで自己を認めているのではなかろうか。恥じるべき心のない悪の自己を知らされた『無慚無愧(むざんむき)』の自覚ほど徹底した慚愧(ざんき)はないであろう。
 偽善者(ぎぜんしゃ)とは、人の為と言って善をする者というそうである。
 親鸞聖人は、『尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)』で、“煩悩具足(ぼんのうぐそく)衆生(しゅじょう)は、もとより真実の心なし、清浄(しょうじょう)の心なし、濁悪邪見(じょくあくじゃけん)のゆえなり”といわれている。


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