本文へスキップ

真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

TEL. 0584-78-3362

〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

テレホン法話(0584-78-3452)TELEPHONE SERMON

 テレホン法話 2016年  

  放送日 タイトル 法 話
550 2016年6月1日〜 私が大切にしている言葉 第10組 真光寺 神原秀貴
 私は在家に生まれて、浄土真宗とも関わる事なく小中高大学を過ごし、大学卒業後はサラリーマンをしていました。結婚をきっかけに、連れ合いの父である住職にご縁をいただき得度(とくど)しました。浄土真宗の学びを深めている途中で、まだ学びは浅いのですが、今現在、心に残っている言葉をお話ししたいと思います。
 『唯信鈔文意(ゆいしんしょうもんい)』の中に「りょうし・あき人、さまざまのものは、みな、いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり」という文章があります。この文章の「われらなり」という言葉が印象的だったので、私の中で心に残っています。
 「りょうし・あき人・さまざまのものは、みな、いし・かわら・つぶてのごとくなる」を現代語訳になおすと、「野蛮(やばん)(さげすま)まされる存在」という差別用語として訳されています。そんな存在の人たちの事を親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、他人ではない「われら」とおっしゃられました。その言葉には、親鸞聖人自身も罪人として流罪(るざい)(しょ)せられ、世間から冷たい目で見られるという経験をされ、このような人々の苦しみや悲しみや怒りを共有されたからこそ、「われら」という言葉を残されたのだと私なりに解釈しています。この言葉は、私のこれからの人生で、忘れてはいけない大切な言葉の一つです。
 自分自身に直接関わって来ない事は客観的に考える事が出来ても、直接自分に関わってくる事になると、冷静に判断しづらくなるものだと思います。簡単な事ではないですが、「われらなり」という言葉を胸にとどめ、どんな人たちの事も他人事にせず、自分の事に置き換え、考えられたらと思います。
 浄土真宗は出遇(であ)いの宗教、気づきの宗教だと言われています。これからも、御門徒(ごもんと)さんと共に聞法(もんぽう)してたくさんの方々や言葉に出会い、いろんな事に問いを持ちながら、それを深めて日々の学びに(つな)げていこうと思っています。


バナースペース

真宗大谷派大垣別院開闡寺

〒503-0897
岐阜県大垣市伝馬町11番地

TEL 0584-78-3362
FAX 0584-78-3328
E-mail kaisenji@ogaki-gobosan.net