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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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 テレホン法話 2016年  

  放送日 タイトル 法 話
556 2016年9月1日〜 友達と成る 第16組 南明寺 藤村 潔
 ある日のことです。たまたま、私が電車に乗っていた時、車内の中吊りの広告に目が止まりました。正確に憶えていないですが、だいたい次のような男性の言葉だったと思います。「58歳で認知症と診断された。そのことを友人に告白したところ、「それがどうしたと言ってくれた…」さらに、その広告には、ハイキングする格好で笑っている中年の人達の写真が添えられていました。
 この何気ない広告ではありましたが、その言葉と写真から出てくる躍動感(やくどうかん)が、印象深かったため、思わず家に帰宅した際、妻へ伝えました。何と妻も「私もその広告を見たよ」と応えました。
 私はこの広告から発せられる言葉が、現代を生きる我々の生活に大きな問いを投げかけているものと実感しました。私たちは無意識に、「自分と他者」「私と友達」とを切り離して捉えています。昨今ではインターネットの普及に伴い、画面上の文字だけでやり取りをし、実際に面識の無い人を友達と呼ぶことも少なくありません。こうした現象は、今日ごく当たり前の対話です。けれども、こうした対話のみが、本当の友達と言えるのでしょうか。
 広告の言葉では、絶望感に伏している男性が、意を決して自分の病気を告白したところ、「それがどうした」と「友人が言ってくれた」と明かしています。本人が他者からどう思われるのか、悩み苦しんだことについて、友人は「それがどうした」とただ一言。この対話は、同情や(あわ)れみなどを、飛び越えた一言だと思います。「それがなんだ。そこでお前との関係がどう変わるんだ」とやさしく語りかけています。そして、病気の男性は「(友人が)そう言った」ではなく、「そう言ってくれた」と感謝しているのです。
 仏教では、自分とは別に友達が存在していると説きません。「それがどうした」と、そう言ってくれるような人を「友達と名づけるのですね」と説いているのです。


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