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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

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 テレホン法話 2017年  

  放送日 タイトル 法 話
586 2017年12月1日〜 「生きる」という問い 第7組 圓龍寺 鹿野映龍
 10月のある日、岐阜市のある斎場で御葬儀を終えた後、少し時間が出来ましたので、岐阜別院にお邪魔しました。本堂で手を合わせ、ふと見ますと、『岐阜東御坊』という印刷物が目に留まりました。「ご自由にお持ちください」ということでしたので、何気なく手にとって読んでみますと、裏表紙に記載されていた次のような詩が私の目に飛び込んできて、しばらく思考停止になりました。

 「人間」

   みじめなものだ
   うまれる  大きくなったら 勉強する
   学校を出て働く  けっこんする
   働いているうちに年をとる 病気などで死んでいく
   みじめなものだ
   考えるといやになる  心の底からつめたくなる
   なぜ こんなに 人間は生きているのだろうか
   父は 少し前に死んだ            《小学校五年生 女子》

 この子はどんな思いでこの詩を書いたんだろうと考えると、何とも言えない気持ちになりました。きっとこの子は、一生懸命働いていた大好きなお父さんの死を目の当たりにし、人生の意義を考えたことでしょう。そして、むなしく悲しくなってしまったのでしょう。
 これは、釈尊がまだ王子の頃、お城の四つの門から出かけ、それぞれ老人、病人、死者、そして、生きる意味を求めている修行僧に出会い、人生の苦を目の当たりにして、生きる意味を求めて出家を決意したという「四門出遊(しもんしゅつゆう)」のお話と同じではないでしょうか。人生の根源的な四つの苦しみである「四苦(しく)」を表したお話ですが、この子もお父さんの人生を通して、「老」「病」「死」を知り、そして「それらを背負って生きている」ということを知ったのでしょう。そして、「冷たさ」「悲しさ」「寂しさ」を感じ、「人生はむなしい」のではないかという「問い」が生まれたのだと思います。
 この子が目の前にいて、あなたに問いかけます。「一生懸命勉強しても、働いても、年をとって病気になって、最後には死ぬんでしょ?何で人は生きているの?」
 さぁ、どう答えられますか?
 この問いは、その女の子だけの問いではありません。私たち一人ひとりが持つ、根源的な問いです。この問いを「見ないように」「考えないように」「ごまかして生きている」のが、我々です。このことを忘れず、そして、当たり前に語り合える時代と環境であるべきだと考えます。一緒に「問い」を考えましょう。


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