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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

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 テレホン法話 2019年  

  放送日 タイトル 法 話
616 2019年3月1日〜 御札や御守りって? 第12組 善性寺 井上千有
 「御札を汚してしまったかもしれないんですけど大丈夫ですかね?」ある日、私のお寺にかかってきた電話です。若い女性の方だと思いますが、頂いてきた御札を大切にしているようで、家では決まった場所に飾り、出掛ける時は鞄に入れて持ち歩いているそうです。そんなある時、トイレで鞄から落としてしまい、御札を汚してしまったと心配になり、御札を頂いたところにも相談して大丈夫と言われたのですが、それでも不安で私のお寺に電話してこられたそうです。その後、度々御札について相談の電話を頂くようになりました。
 この方は一見御札を大切にしていて信心深いように思えますが、私としては心配でなりません。それはなぜかというと、御札というものに依存しすぎているように思えたからです。実際にこの方は「御札が無いと不安で仕方が無い」とおっしゃっていました。生活の根底に御札があるのです。では、御札とは一体何なのでしょうか。不安を解決する物なのでしょうか。しかし、この女性にとっては不安にさせる原因になっています。ならば、どういった物であるべきなのでしょうか。
 私が思うに、一種の(いまし)めであると思います。どういうことかと言いますと、御札には色々な種類があります。例えば、家内安全や無病息災などです。こうでありたいという願いを忘れない為、またはそうあるように生活する為の戒めであるのではないでしょうか。御守りにも同じことが言えます。
 しかし、交通安全の御札や御守りを持っているから事故に遭わないのでしょうか。そんなことはありません。事故に遭わないのは、常に安全運転を心掛けているからです。御札や御守り自体に不思議な力があるわけではありません。御札や御守りに頼り切った生活では自分の人生を生きているとは言えないと思います。また、御札や御守りを手にしただけで、満足してしまう方が多いのではないでしょうか。先で述べたように持つことに意味があるのでは無く、御札や御守りを持たずとも、自分自身がいかにその願いの元で生活しているかが大切になってくるのです。皆さんにはそういう生活を送っていただきたいと思います。


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