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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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 テレホン法話 2019年  

  放送日 タイトル 法 話
621 2019年5月16日〜 私の生き方を振り返る 第11組 浄休寺 竹中宜史
 日々の生活を振り返ってみますと、都合通りになれば有頂天になってみたり、逆に都合通りにならなければ落ち込んでみたりと、私の都合によって心の有様が移り変り、そのことに振り回された生き方をしてしまっているのかなと思います。このような私のものさし中心の生き方こそが、実は私を苦しめる原因になっていると思います。その様な生き方を、お釈迦さまは「生死一如(しょうじいちにょ)」という言葉を通して表し、自身を振り返らせてくださっているのかなと思います。
 この「生死一如」というのは、生きると死ぬということは切り離す事の出来ない関係性にあり、生きているということは常に死ぬ可能性があるという、二つの事実が表裏一体の関係になっているということです。確かに、年齢順通りに人は亡くなっていくのかといえば違います。年齢に関係なく、条件が整えば私たちのいのちは終わってしまいます。このような私が、「生死一如」という言葉を通じて、かけがえの無い「今」という尊い瞬間を、己の都合良し悪しだけで判断してしまい、見失っている生き方を問い直すきっかけになったのです。
 「生死一如」という言葉を、お釈迦さまが伝えてから2500年の時を超えて今の私たちに、人として生まれたが故の苦悩に対して、苦悩の根幹を知らせて頂ける言葉として大切にされているのかなと思います。
 私の暮らしを例に挙げてみますと、私には二人の息子が居るのですが、先日妻と子供たちの将来について話し合っている時の会話で「二人がどうにか成人するまでは頑張って働き支えていかなくてはいけないね。」と話し合っていました。しかし、もし二人の息子が成人する前に自分の人生が終わってしまったならばと考えるとやりきれない苦しみに向き合わなくてはならないのかなと思います。
 「生死一如」という教えに出遇わせて頂いたご縁は、私の都合によって人生の良し悪しを量ってしまうのではなく、今日を生き、生かされている事実に目を向ける大切さを教えて貰っている様に思います。


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