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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

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 テレホン法話 2019年  

  放送日 タイトル 法 話
628 2019年9月1日〜 有難うの気持ちをもって
ーいのちの輝きー
第6組 覚養寺 竹中素恵
 私事ではありますが、昨年から今年にかけて両親が立て続けに入院し、突然「生老病死」について考える機縁をいただきました。
 私の中で両親は元気あふれる昔のイメージのまま止まっていたので、病気や怪我に直面した時すごくショックで、家族はいつまでも笑って元気でいてくれるという、漠然(ばくぜん)とした思いは一瞬にして消されてしまいました。人は生まれながらにして必ず死ぬものだと分かってはいるものの、いざ実際に向き合うこととなると「どうしてこんなことになってしまったのか?」「こんなハズではなかったのに」という思いがどうしても頭をよぎってしまうものです。
 それは無意識に今あるものが当たり前になってしまっているからだと思います。両親が元気でいてくれること、明日が来るということ、今この命を生きているということ、全てが当たり前だと思い込んでいた私は、二ヶ月の入院を経て久々に家に帰りついた母が、庭の草木や鳥のさえずり、虫の声にとても感動していたのが印象的でした。そして、母は「入院中窓から見えるのはコンクリートばかり。今まであって当たり前だと思っていた木や花、小さな生き物が輝いて見える。」と言いました。私はそれを聞いた時、そんなことが一番見たかったことなのかと驚きましたが、母を感動させてくれたものを「そんなもの」だと思ってしまった私の心が、今を大切にしていない、命に向き合って生きていないのだと気付かされました。
 身内の病気や怪我という一つの「縁」を通して、今まで気付かなかったたくさんのことに気付かせていただきましたが、その中で「ありがとう」という言葉が、以前より身にしみるようになりました。それは、有ること難し。有ることが難しい、だからこそ「有難う」なのだと気付かされたからです。
 元気に走っていた両親が、今は二歳の孫に手を引かれて歩いています。そんな姿を見ていると、永遠に有るものなど無いのだと実感させられると共に、私がこれまで与えてもらったものの大きさに気付かされ「ありがとう」という言葉の意味を日々感じます。困ったときはお互い様、これまでたくさん助けてもらった分、次は私が、有難うの心で家族に寄り添って生きていきたいです。
 誰もが日々、不平不満を抱えて忙しく生きている現代だからこそ、当たり前のことなど何一つとしてなく、本当に有ることが難しい日々の尊さを一人ひとりが自覚し、有難うの気持ちを持って、生きていかなければいけないのではないでしょうか。


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