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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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 テレホン法話 2020年  

  放送日 タイトル 法 話
649 2020年7月16日〜 ご縁があって 大垣教務所 禿 有至
 みなさんも「何かとご縁がありまして」とか「これもご縁ですね」という言葉を使ったことがあるのではないでしょうか。私事ではありますが、私自身も昨年「ご縁があって」札幌から大垣に引っ越して参りました。
 さて、一般的に「ご縁」とは「出会い」「機会」「関係」といった意味で使われています。しかし、よくよく考えてみるとこの言葉にはその意味だけでなく、その体験をとおして、本当に有難いという感謝の思いが言葉となっているのではないでしょうか。そこには仏教における「縁起(えんぎ)」というものが根底にあります。「縁起」とは、すべての存在は無数の因縁(いんねん)によって成り立っているという仏教の基本的な言葉です。
 日常の中には仏教を語源とした言葉がたくさんあり、本来の意味とは異なって使われることがしばしばあります。特にこの縁起という言葉は誤用されやすく、縁起が良いとか縁起が悪いとか、物事の結果を自分の都合に重ねて使われがちです。
 しかしながら、この「縁」とはお釈迦様の教えで「(いん)(ねん)()」として説かれています。「因」とは自身の行いたる直接的な原因のこと。「縁」とは「因」を助ける間接的な原因のこと。そして「因」と「縁」が合わさることで「果」である結果が生まれるということです。
 つまり「縁起」とは、自らの行いと取り巻く環境が結びついて私となっている、無量無数の因縁によって私が成り立っているという意味ですから、良い縁起も悪い縁起も私な訳です。どちらもが合わさって私となっているのです。それがいつの間にか、自分の都合を願う言葉にすり替わってしまっているわけですね。
 このことを念頭に置いて縁起という言葉を振り返ってみると、私は諸法無我(しょほうむが)という自身の存在を根拠づける確かなものなどなく、全ては繋がりの中にあり、お互いに影響を及ぼし合いながら私たちは生かされているという、いのちの事実に気づかされます。
 私たちはどんなに思い通りに生きたとしても、それは自らに都合の良い生き方となってはいませんか。日々の生活の中にあるたくさんのご縁、その一つ一つを大切にすることで、私自身が、そして私と出会う一人一人がかけがえのない尊い存在であることに気づかされていくのではないでしょうか。


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