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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

TEL. 0584-78-3362

〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

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 テレホン法話 2020年  

  放送日 タイトル 法 話
658 2020年12月1日〜 「さる」のか「せる」のか 第6組 宗休寺 津汲智麿
 私は普段の仕事として、認定こども園の園長をしております。園では、5歳児になると、全員で正信偈(しょうしんげ)同朋奉讃(どうぼうほうさん)を読む練習をしています。教育的な意義では、字へ興味を持つことや、正座をするという日本文化の一端に触れるということがあります。また、宗教的な意義で考えれば、家庭での仏事離れ、正信偈を読めない人が増えていく現実がある中で、小さい頃から真宗の生活の体験をできれば良いと考えています。
 そんな環境の中で育った卒園児のご家庭で、卒園から4年後にご不幸があり、縁あって、私が葬儀をさせていただくことになりました。時が経ち満中陰(まんちゅういん)の法要を終えた、おときの席での話です。その卒園児のおばあさんが、「うちの孫は、家に来るたびに、いつも最初に仏壇の前に座って、お参りをしてくれます。これも先生のおかげです」と言われました。在園時の経験が少しでも生きていたなと、嬉しかったので「とんでもないです。心優しい子に育っていて何よりです」と答えました。おばあさんは続けて「私が何も言わなくても「手が合わさる」子で、優しく祖父思いで、見ていて嬉しいです」と言われました。その場はそれで終わりましたが「手が合わさる」という言葉が心に残っていました。
 その後、別の席でお焼香の説明をしていて「手を合わせましょう」と言いました。その時に、なんだか違和感を感じました。と同時に、前の法事の会話を思い出し、その違和感の正体が「合わせる」のは誰かに指示をされたからする、意図的な行為であり、「合わさる」のは意図的な行為ではなく、自然に行える行為であることだと気づきました。
 私たち真宗門徒はその家に生まれ昔からしている行為として、誰もがしているから手を合わせているのかもしれません。それは、同調圧力といえるかもしれません。また、寺族である私もそうかもしれません。私が卒園児のありのままの姿から学んだ【「せる」のではなく、「さる」合掌】そんな生き様でありたいと感じています。


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