テレホン法話(0584-78-3452)TELEPHONE SERMON
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放送日 |
タイトル |
法 話 |
670 |
2021年6月1日〜 |
人間とネット社会 |
第1組 善念寺 龍 裕真 |
昨年から新型コロナウイルスの世界的感染拡大による未曽有の状況下にある。そのような状況において、我々人間の本質的な醜さが露呈した事件が多々発生したので、一つここで紹介する。京都府の大学に在籍していた富山県出身の大学生がゼミの卒業祝賀会に参加した。そこにはヨーロッパ旅行から帰国したばかりの友人達も出席していた。その事がきっかけでコロナに感染し、無自覚のまま帰省した事により富山県最初の感染者になってしまったのである。
今となっては日本だけでも一日の感染者数は優に千人を超えるが、最初に特定の地域にウイルスを持ち込んでしまった人への周りの人間の対応は冷酷を極める。そして、その冷酷さは我々をとり囲むネット社会によって拍車がかかる。実際に、その大学生もネット住民によって自身の経歴・住所・家族構成・親の勤務地に至るまでさらされてしまった。ここで我々が深く考えなければいけないのは、当たり前の様にSNSが普及している現代、つまり社会との関わり方である。今回の事件を考察してみると、一時的な感情にまかせて個人情報をネットに書き込む様な人に共通しているのは「ゆがんだ正義感・善意」であろう。言葉が正義感・善意に由来しているため、悪行である事に気が付かないのもタチが悪い。また、ウイルスという目に見えない物への不安に対して、自分はこれだけ対策している、行動を制限しているという事を誰かに証明したいのではないだろうか。
この様に恐ろしい一面をはらむネット社会との向き合い方で重要なのは、まず世界中にあふれている情報、それを選び取り、受け止め判断する自分自身の物差し、これ等を疑う事ではないだろうか。人間の物差しとは、常に自己中心的なものでしかない。それに対し、仏の物差しは「仏眼」と言われる。事柄の良し悪しではなく、真理を見通すもの。しかし、人間が仏の物差しを得ることはかなわず、また、身勝手な私の物差しを離れることも出来ない。何より、自身が自分の都合で物事を判断しているとは思ってもいない。仏の教えを聞くことは、そんな自分の姿を気付かせてくれるのである。ネット社会は、我々に生活を豊かにする有益な情報を提供してくれるのは事実であるが、根拠のない事実無根の情報がはびこっているのも事実である。我々はこのような大量な情報を思慮深く選び取り、活用していく事が必要とされている。
また、自分が手軽に発言・発信する事によって周りの人間、相手側がどのように思うかを想像力を働かせて考える事も必要である。「言葉」が持つ力はとても大きい。「言葉」をネット社会における凶器としないために、これまで以上に人への思いやり、人との関りが重要となってくるであろう。 |