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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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 テレホン法話 2021年  

 № 放送日 タイトル 法 話
683 2021年12月16日~ やらない善よりやる偽善 第1組 来光寺 岩田和也
 私が最近気になった言葉に、「やらない善よりやる偽善」という言葉があります。この言葉は「他人からよく思われたい」や「自己満足を得たい」という下心があって「表面的な善行為(ぜんこうい)」を行ったとしても、その行為によって助かる人や感謝をする人がいるのであれば「善行為」を心の内に秘めているよりも行動に移すことに価値がある。という意味であると考えます。「やらない善よりやる偽善」この言葉を聞くようになったのは最近のように感じますが、日本のメディア等に登場するようになったのは10年ほど前のようです。私の10年前がどうであったかを思い返してみると、まさに「やらない善よりやる偽善」という場面がありました。
 ちょうど東日本大震災から1年ほど経った頃、私が就職活動を始めた頃です。「就職活動の面接で自己PRをするために被災地へ行ってボランティアをしてきた。」このような会話が私の周りでもよく見られました。私は当時、被災して家族や住居を失い悲しんでいる方がみえるのになんて不謹慎なのだと思っていました。しかし、ニュースで被災地のボランティアの映像が流れる度に被災地の方々は口を揃えて「ありがたい」と話されていました。被災地の方からすると下心があろうとなかろうとボランティアに来てくれたという「善行(ぜんぎょう)」には変わりないということなのでしょう。そう思うと下心のある行為も善行と言えるのかもしれません。
 しかしながら、親鸞聖人は、
  悪性(あくしょう)さらにやめがたし  こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり
  修善(しゅぜん)雑毒(ぞうどく)なるゆえに  虚仮(こけ)(ぎょう)とぞなづけたる    (『真宗聖典』508頁)
と示されています。これは、「悪性というものを止めることはとても難しい。私たちの心は、毒蛇や(さそり)のような雑毒心(ぞうどくしん)である。善行をすることも、実際は毒されている。だからこそ、善行を偽りの行と言うのである。」ということです。
 私たち人間の善は「(とん)(じん)()」という煩悩(ぼんのう)に染まっており「雑毒の善」であり、三毒(さんどく)の煩悩の混ざった人間の行いは、どこまでも雑毒であると指摘されています。親鸞聖人の仰るように、私たちの抱えている煩悩は決して無くなるものではありません。自分にとっての良し悪しという分別(ふんべつ)を依りどころとして生きているのが私たち人間の身の真実です。
 また、東日本大震災以降、他力の救いを大切にする浄土真宗とボランティアの整合性に関する問題もよく取り上げられるようになりました。
 もちろん、どのような心であれボランティアを行い、助かる人があること自体は大切なことです。難しい問題ではありますが、本当は、阿弥陀仏の本願によって私自身が虚仮の身であったという自覚に目覚め、そのような身を生きる私たちを救わんと働いてくださる阿弥陀仏を依りどころとして、私自身のできることを精一杯行っていくことが大切なのではないでしょうか。


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