テレホン法話(0584-78-3452)TELEPHONE SERMON
№ |
放送日 |
タイトル |
法 話 |
694 |
2022年6月1日~ |
生きるとは |
大垣教務所 藤石 海 |
2万人。これはどのような数字かご存知でしょうか?警察庁の統計に基づき、厚生労働省が発表した、2021年に自死された方の人数とのことです。2020年に比べ減少しましたが、コロナ禍の前と比べると増加傾向にあります。
なかなか出口の見えてこないコロナ禍で、多くの人が将来を見通せず不安を抱えて暮らしています。現に、学校でのいじめ、職場のハラスメント、コロナ禍での突然の解雇、さまざまな生活不安、病気等の理由から、自ら命を絶つという痛ましいニュースが毎日のように飛び込んできます。
以前私が別の教務所に勤務していた時にとある方と出会いました。教務所の職員と門徒という関係性で最初は業務対応していたのですが、やり取りをしていくうちに話す機会が増え、ご自宅にお邪魔させてもらい部屋に置いてある仏壇や、購入された仏教書などを見せていただき、非常ににこやかで嬉しそうにお話されていた姿が印象に残っています。それからしばらくして、その方が亡くなったという連絡を受けました。自死でした。私が生まれてから初めて自死を身近に感じた瞬間であり、死ということ、生きるということを考えるきっかけとなった大きな出来事でした。
人の死というのはさまざまであり、自死、事故、病気、老衰など死というのは無数に存在し、それはいつでもどこでも誰にでもおこりうるものです。しかし、一般的に死というものは穢らわしいもの、見たくないものであり、死を連想する数字の4を避け、葬儀に参列すれば清めの塩を使います。しかし、何を忌み嫌うのでしょうか。大事な家族や大切な人の死は穢れているのでしょうか。生まれた人は必ず死を迎えるという道理をその身を持って教え、人生を全うした人として大事に思う。人の死というのはそういうことではないでしょうか。
私にとって、いつ死んでも悔いのない人生を送ることは、難しいことだと思いますが、この世に生を受けた意味を明らかにしようという姿勢をもって、生きていきたいと思います。 |