テレホン法話(0584-78-3452)TELEPHONE SERMON
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放送日 |
タイトル |
法 話 |
708 |
2023年1月1日~ |
年頭のご挨拶 |
大垣別院輪番 藤懿信麿 |
新しい年をお迎えし、大垣教区の皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申しあげます。
さて、今年は「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要」厳修の年であります。
ここ数年は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により私たちの生活は一変し、人が集うことが規制されるなど、人間関係がますます希薄化してきております。また、今も続くロシアのウクライナへの軍事侵攻など、現代の様相はまさしく五濁悪世といった観がいたします。
親鸞聖人がお生まれになった平安時代の末期も、公家から武士中心の時代へと体制が大きく変わろうとしていた激動の時代でした。聖人が幼い頃の京都では、相次いで大規模な火災や自然災害による飢饉が発生し、『方丈記』では4万を超える方がお亡くなりになり、市中には遺体があふれていたとの記録があります。
そのような中、聖人は9歳で得度され、その後20年間比叡山において修行されますが、求められたものは得られず山を下りて、法然上人とその教え「どのような人であれ念仏ひとつで救われる」という本願念仏の教えに出遇われました。その出遇いを聖人は、「遇いがたくして今遇うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり」と奇跡的なことであると感激をもって受け止められております。
金子大榮先生は『宗祖を憶ふ』という讃歌の中で、「その人を憶いてわれは生き、その人を忘れてわれは迷う」と詠われており、「その人」親鸞聖人を憶って生き、聖人のことを忘れて迷うのだとおっしゃっておられます。
この五濁悪世の中で流転する私たちですが、聖人が法然上人と出遇ってその後の道が定まり、法然上人のことを憶いながら人生を歩まれたように、まずはこの私が本当に親鸞聖人と出遇うということが、必要なのではないでしょうか。
このたびの慶讃法要をとおして、改めて親鸞聖人との出遇いを確かめさせていただきたいと思うことであります。今年もどうぞよろしくお願い申しあげます。 |