テレホン法話(0584-78-3452)TELEPHONE SERMON
№ |
放送日 |
タイトル |
法 話 |
718 |
2023年6月1日~ |
憎いままに有難い |
第2組 碧還寺 奥田幸文 |
仏法を聞くとは、どういうことなのでしょうか。どうなるのでしょうか?それは、欲がなくなるのでしょうか?怒らなくなるのでしょうか?文句が出なくなるのでしょうか?
仏教の中で特に重い煩悩を三毒と言います。貪欲(貪り)・瞋恚(怒り)・愚痴(愚か)です。これらの煩悩を無くし、素晴らしい人に私はなれるのでしょうか。普段の私達は、世間的な良い人になろうと頑張っています。つまり、煩悩にまみれたままの私であることも、気づいていないのです。だからこそ、頑張れば頑張るほど、そうなれない私に苦しむのです。
皆さんは過去に嫌な出来事や思い出があり、今でも忘れられない、思い出すと苦しい、怒りがこみ上げてくるということはないですか?
ある方が、「学生時代に一方的な暴力というものに遭い、その時の怒りが何十年経っても治まりません。そして、こんな他人に対して怒りを持ち続ける私がいけない。今会えば何かしてしまいそうで怖い。許せるようにならなければならないが、許すことのできない私が恥ずかしく苦しい。相手はそんなことはすでに忘れているかもしれませんね。」と話してくださいました。
ある本に、地獄とは(自分の業で苦しむ)自業苦であると書いてありました。つまり、正に自分自身が怒りを作り、その怒りに苦しむのであり、周りではなく私の心に自業苦があるのです。
その方は、「縁あって座談の場で、先の苦悩を話し、仏法に照らして考えさせて頂くことができた」と仰っておられました。そして、「今怒りも恨みもあるんですよ。あるのですが、この人のお陰で、こんなにも怒りを治めることのできないのが私であると、気付かせていただきました。ですから、この人は憎たらしいままに、有難い私の仏であると感じるようになり、苦しいままなのに、気持ちが楽になりました。」と続けてお話されました。
仏法とは、自業苦ばかりの私を照らし明らかにしてくださいます。そして、私の中の地獄(自業苦)のまま楽に、そして、私の中の極楽(業苦楽)も明らかにしてくださるのです。 |