| № | 放送日 | タイトル | 法 話 |
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| 777 | 2025年11月16日~ | 死を師とする | 第16組 存德寺 徳永智也 |
| 今年の五月、父が亡くなりました。私は在家に生まれ、京都の和菓子屋の三男として育ちましたが、ご縁あって今は岐阜県海津市のお寺に身を置いております。 その京都の実家の父が、三年にわたるがんとの闘病の末、西帰いたしました。医師からは発見当初に「余命半年」と告げられておりましたので、三年も命をいただいたことは本当に有り難いことでした。その間に私も覚悟や気持ちの準備はできていると思っていたのですが、いざ実際に亡くなってみると、準備など到底間に合わず、深い寂しさに包まれました。 日ごろ私は門徒さんに向かって、「人間は生まれたら必ず死ぬ。四苦八苦の“四苦”は老・病・死に“生きる”を加えた“生老病死”です。『白骨の御文』にも『されば朝(あした)には紅顔ありて夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり』とあります。また『今日とも知らず、明日とも知らず』とも書かれています。順番通りにいくとは限らず、明日はわが身ですよね」と、いかにもわかったようにお話ししておりました。 しかし、父の死を通して、実は自分自身がまるで分かっていなかったことを、改めて知らされました。 北海道の鈴木章子さんは「人間、死ねば仏になる」とおっしゃり、またご自身ががんを患いながら「がんは宝です」とも言われました。その言葉の背景には、広大な南無阿弥陀仏のはたらきを身をもっていただかれた歩みがあるのだと思います。 私も父の亡くなっていく姿に、その南無阿弥陀仏のはたらきを感じました。それは、病状が進み、治療の手立てもなくなり、ホスピスで自らの死と向き合う中で、あるがままの身の事実を受け入れていく姿を私に見せてくれたことです。 父は生前、念仏の教えに直接のご縁はありませんでしたから、本人が「がんは宝です」と実感することはなかったでしょう。しかしその歩みはまさに、身をもって南無阿弥陀仏の働きを現してくださったものでした。そして往生の素懐を遂げ、仏となられて、私に「南無阿弥陀仏」を伝えてくださったのす。 |
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