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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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 テレホン法話 2014年  

  放送日 タイトル 法 話
495 2014年6月1日〜 自由の定義 第16組存徳寺 徳永智也
 先日、ある高校生から、「自由とは何か?」という話を聞いた。
 「校則をなぜ守らないといけないか?また、校則などルールを守らずに自分勝手に気ままに生きることが、自由に生きるということなのか?僕はそれは、何か違うと思う」と。 
 それを聞いていた一人の年配の方が、「そんなことだったら私が答えてあげよう」と切り出してこう言った。
 「人に迷惑をかけないこと、人に迷惑をかけないように生きる。あとは自由に何をやってもよい。日本人は、大学生でもこんなことがわからない人が多いからダメだ。アメリカあたりでは常識だ!」と、おっしゃった。
 皆さんはこれを聞いて、どうお考えになるだろうか?これは一般世間においては、あるいは一般的道徳においては、いかにも正しいように聞こえる。しかし、ちょっと考えてみると、いかにも不安定な答えではないだろうか?
 最近、他人に迷惑をかけないようにとか、息子に、あるいは家族に、迷惑をかけないようにという言葉をよく耳にするが、はたしてそんなことが、そもそも可能なのか?他人に迷惑をかけないという言葉は、いかにも正しい言葉のように聞こえるが、果たしてどこに立ってそんなことが言えるのだろうか?
 迷惑をかけないということは、非常に抽象的(ちゅうしょうてき)で、程度が決まってない言葉である。ということは、どこまでも自分の(はん)ちゅうを超えない、つまり実は自分勝手な考え方なのである。迷惑をかけないための行動が、かえって迷惑をかけることもよくある話である。皆さん自身も、そういう経験をされたことが何度となくあるのではないでしょうか。
 しかし、そんなことにも気づかずに、私の考えは正しいと思って生きているのが、私たちではないでしょうか?そして、その思い込みを思い込みと気づかせてくれるのが如来であり、念仏ではないでしょうか?そうすると、他人に迷惑をかけながらしか生きられないのが、現実の私なのだとハッキリしてくるのではないでしょうか?
 そう考えると自由とは何か?という問いが、より深く大切な問いに思えることでした。 


バナースペース

真宗大谷派大垣別院開闡寺

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