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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

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 テレホン法話 2015年  

  放送日 タイトル 法 話
536 2015年11月1日〜 「あたりまえ」を喜べない生き方 第1組明寂寺 藤江 充
 普段の生活に私たちはいつのまにか喜べない自分がいます。
 最近の新聞、ニュースの報道を聞くと、これから先の自分の人生の不安ばかりが()き立てられています。そんなとき、井村和清氏の「あたりまえ」の詩を目にし、これは、と思い紹介させてもらいます。
  
こんなにすばらしいことを なぜみんなはよろこばないのでしょう
  あたりまえであるということを
  
お父さんがいる お母さんがいる 手が二本あって 足が二本ある
行きたいところへ自分で行ける 音が聞こえて 声がでる
こんな幸せあるでしょうか しかし誰もこれを喜ばない
あたりまえだと笑っている

ご飯がたべられる 夜になると眠れる そして朝がくる 空気が胸一杯吸える
笑える 泣ける 叫ぶことができる 走りまわれる
みんなあたりまえのこと こんなすばらしいことを みんな喜ばない

そのありがたさを知っているのは それをなくした人たちだけ
なぜでしょう あたりまえ

 なぜ人は、あたりまえを喜べないのでしょう。善導大師(ぜんどうだいし)は、「魔郷(まきょう)には(とど)まるべからず」また「他郷(たきょう)には(とど)まるべからず」といわれています。魔郷とは、心を(うば)誘惑(ゆうわく)に満ちた楽しい世界です。そして、かけがえのない人生をなんとなく過ごさせてしまう世界です。これに対して他郷とは、よそよそしい世界、誰からも心から声をかけてもらえない世界の事です。
 自己中心に、自己のためにあらゆるものを利用することしか考えない現代、我が力に固執(こしゅう)し我がおもいを絶対のものさしにして生きている有り様はまさに「濁悪邪見(じょくあくじゃけん)衆生(しゅじょう)」である姿です。
 今生きている私達は多かれ少なかれ、思い通りの生活、思いどおりになる世界を求め、あこがれるのです。また、手間をどんどん(はぶ)く時代の流れのなかでは、なおさらです。
 魔郷は自己を問い、我が人生を問い、真実に目覚める心を奪い去る世界であり、他郷は外からの力、私をみちびいてくれるもののない世界です。
 私たちは「あたりまえ」だと思っている人生を失うことでしか、「ありがたさ」に気づかされないくらい(おろ)かな存在なのでしょう。失うことは人として大事なことに気づかされる大事な機会なんだと感じました。


バナースペース

真宗大谷派大垣別院開闡寺

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