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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

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 テレホン法話 2021年  

  放送日 タイトル 法 話
665 2021年3月16日〜 亡き人の姿を拝見して 第16組 教覚寺 安田英樹
 私は葬儀(そうぎ)を勤める時に、祖父の亡くなるときのことをよく思い出します。祖父は自宅で倒れて救急車で運ばれ、夜遅くに亡くなりました。運ばれるときには心臓が止まっていたと聞き、亡くなってしまうと思いました。そんな思いを抱え、病院へ駆け付けたのですが、怖くて会うことが出来ませんでした。何が怖いのかがはっきりわからないけど、とにかく怖いと思ったのを覚えています。初めて家族の生き死にに出遇(であ)うという経験をしたので、いまでも鮮明に覚えています。
 今になって思うのは、人が亡くなるところに出会いたくなかったのだと思っています。今でも、亡き人の姿を拝見すると怖いと思うことがあります。寺の住職が、亡き人の姿が怖いと思うことがどうなのかと考えることもありますが、私自身、大事なことだと思っています。
 亡き人の姿を拝見すると怖いと思ってしまう感情は、私自身にも死が訪れるということが、つきつけられるからなのではないかと思っています。常識として必ず人は死んでいくということは分かっています。しかし、他人事として、その中に自分自身が入っていません。人が死んでいくということは他人事ではなく、私事だったのだということが亡き人の姿を拝見することによって、気付かされるのではないでしょうか。亡き人の姿に私の姿を重ねて、私も死んでいく身なのだという自覚が起こるといった、ご縁ではないかと思っています。
 どこまでいっても他人事として受け止めてしまう自分に対し、亡くなった人が自身の姿を通して、他人事ではなくあなた自身の問題ですよと語りかけているのではないでしょうか。
 亡き人のご縁によって、普段考えることのない私の死という触れたくないことを考えることによって、本当の問題に気づき新たな歩みが始まるのかと思います。
 どなたかのお話で聞いた、『葬儀は私の死を自覚する場』という言葉が耳に残っており、その言葉の意味をもっと深めていければと思います。


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