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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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 テレホン法話 2022年  

 № 放送日 タイトル 法 話
686 2022年2月1日~ とおきはちかき道理 第18組 応声寺 河合文香
 世間で言われる「イヤイヤ期」を通過中の三歳の息子。子どもの自己主張が増えたことは成長の(あかし)とは言え、日々接している親にとっては心の余裕がない時もあり、苛立(いらだ)ちが先に来たり、一体何を考えているのか、子どもの言うことは分からんと首をかしげたりすることもしばしばあります。5年、10年もすれば、そんな頃もあったねと過去の笑い話になるのでしょうが・・・。
 そんな手探り状態で子育てをしている最中ですが、実は、子どもが大きくなり意思の疎通(そつう)ができるようになっても、お念仏の教えの中で「子どものことが分からん」という感覚は大切なようです。『蓮如上人(れんにょしょうにん)御一代聞書(ごいちだいきききがき)』の第129条に、
  とおきはちかき道理、ちかきは遠き道理なり。   (『真宗聖典』878頁)
で始まる一節があります。いつも仏法を聞いている者は「またあの話か」と法義(ほうぎ)におろそかだが、自分がいかに仏法から遠く(へだ)たっているかを知っている人は、大切に求めるのだという内容です。
 さらに私はある先生から、このことは親子関係に置き換えても意味が通ることを教わりました。つまり、「私が、子どもの心からどんなに遠く隔たり、少しも子どものことが分かっていないかを深く悲しむ心が、一番子どもに寄り添う心で、一方、私こそが理解している、私がいちばん近くに寄り添っているのだと自負している心が実は一番子から遠く離れている心なのだ」という解釈です。なんと厳しいご指摘でしょうか。「私こそ理解者だ」というけれども、結局は私が見たり聞いたりした経験の範疇(はんちゅう)で私が都合良く理解していることに、自分で満足しているだけに過ぎないのだよ、それでは本当に子どもに寄り添っているとは言えないのだよと警鐘(けいしょう)を鳴らしているかのようです。また、「深く悲しむ」とは、自分の思い込みや理想に逃げ込んで悲観的になることではありません。何もかも自分の思い通りにはならないと気づき、いのちは他力でしたという事実に頭が下がる感覚を指しているのでしょう。自分が手にした答えをものさしにして、子どもを判定しない。そして何よりも時間の許す限り、子どもの話をよく聞き、それに共感する。私も、手探りの育児の中で実践していこうと思います。


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