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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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 テレホン法話 2022年  

 № 放送日 タイトル 法 話
703 2022年10月16日~ 「当たり前」という傲慢 第1組 了信寺 藤 恵行
 私は、「当たり前」という言葉を極力使わないようにしています。しかしながら、今までの癖でついつい使ってしまいますが、今では「当たり前」という言葉が、大嫌いになりました。なぜなら「当たり前」という言葉には、人間の非常に傲慢な側面が垣間見えるからです。
 世の中には、たくさんの「当たり前」が溢れています。三度のご飯が食べられて当たり前。仕事ができて当たり前。眠れて当たり前。当たり前、当たり前・・・。枚挙(まいきょ)(いとま)がないほど世の中は、人間が「当たり前」と勝手に思い込んでいる事象が、たくさん存在します。改めて「当たり前」について、考えてみる必要があります。
 「当たり前」という言葉を辞書でみると「そうあるべきこと、そうすべきこと」さらには「普通のこと、ありふれていること」とでてきます。考えてみればそういう事象がたくさん存在しているから、生まれた言葉であるとも言えますね。しかし、それらの事象は本当に当たり前のことでしょうか。私は断じてそうは思いません。
 我々人間が「当たり前」ととらえている事は、その「当たり前」を下支(したざさ)えしてくれている多くの人々や、事象があるからに他なりません。ご飯一つとってもよくわかります。毎日ご飯が食べられるその背景には、お米を作ってくださる農家の方、お米を販売してくれるスーパー、お家で調理をしてくれる人がいて、はじめて口の中にいれることができます。また同時に、人間が食する動物たちが存在し、その命をいただいているからこそご飯が食べられるのです。何か一つ欠けるだけで、ご飯は食べられません。そう考えると「当たり前」と思っている事が、何一つとしてない事がよくわかります。つまり、当たり前だと思っていたことが、実は有難いことだったということです。
 人は、常日頃から「当たり前」と認識したときから、「感謝する」ということができなくなります。それどころか「当たり前」が「当たり前」でなくなった時、人は悲しみ、怒りに狂います。そしてその後、「当たり前」が「当たり前じゃなかった」とようやく気付かされます。しかし、それでは遅いのです。ご飯が食べられて当たり前。しっかり眠れて当たり前。命があって当たり前。普段の生活の中の「当たり前」にしっかりと向き合い、感謝することを忘れずに、日々を丁寧に生きていくことが、その「当たり前」の事象に、報いることになるのでないでしょうか。私自身も我が身を振返り、肝に命じて日々を精一杯生きてまいりたいと思います。


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