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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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〒503-0897 岐阜県大垣市伝馬町11番地

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 テレホン法話 2023年  

 № 放送日 タイトル 法 話
716 2023年5月1日~ 私のためにある仏教 第6組 康安寺 谷 羅央
 私は、一年前に大学を卒業し、自坊の法務に携わり一年が経ちました。お参りにまわり始めて、しばらくして感じたことがあります。それは多くの方の中で、仏教が、自分の方に向いていないということです。実は、私も仏教に触れてから、数年間ずっと「仏教は、ただ、亡くなった方のためにあるものだ」と思っていました。そんな私が、仏教は自分の方向に向いていると、初めて感じさせられた出来事がありました。
 数年前、自坊の永代経で参拝者に向けてお話をする機会を、住職から与えてもらえました。お話をするにあたり、仏教についてまだまだ何も知らない私は、一から仏教を学び直しました。その時でした。何度も聞いたことがあるはずの、仏教に関する言葉が、まるで、直接自分のことについて言われているように感じたのです。これは、初めての体験でした。
 当時、私は恋愛関係にあった女性とお別れすることになり、別れにより出てくる、苦しみや悲しみ、またその他の感情。これらは、一体なぜ生まれてくるのか、そして、なぜそれに苦しめられているのか。今、私はどうしたらいいのか。それらが絡み合って、どこから手をつけていいかわからない心情でした。
 しかし、仏教の教えによって、絡み合ったものがするすると(ほど)かれていきました。仏教は、相手が悪いと指を差すものではなく、その指を「私が間違っているかもしれない」と、自分に向けていくものであると、その時、初めて感じさせられました。
 この、私が間違っていたという「気づき」は、自分の力で気づいたということではなく、永代経という法縁(ほうえん)による「気づき」です。つまり、「亡くなった方」のための法要ではなく、今生きている「私」のための法要です。
 しかし、この気づきもすぐに忘れる私です。だからこそ、何回もお参りをして、忘れていることを亡き人や先達(せんだつ)に思い出させてもらうのです。
 皆さんは、一回一回の法要を大切にできていますか?


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