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真宗大谷派大垣別院開闡寺は真宗大谷派(東本願寺)を本山とする別院です。

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 テレホン法話 2024年  

 № 放送日 タイトル 法 話
755 2024年12月16日~ 教えとの出遇い 第2組 光泉寺 傍島光昭
 現在私は、皆さんと同じように働きつつ、その一方で自坊での法務も行っています。それまでに、真宗学院や教化研究室での学びを中心に真宗に触れてきました。
 私もまだ真宗の教えをいただく一凡夫いちぼんぶとしての道を歩みだしたばかりですが、その学びの中でふと思ったことがあります。それは、ここでこんなことを言うのもなんですが、「仏さまは、私たちにタメになることは何一つ言ってくれない」ということでした。ここでいうタメになるとは、自分にとって都合のよいこと、役立つことを意味します。私たちは困ったときに、たとえば毎朝テレビで占いをみるように、都合のいいところを取り入れようとすることでいい人になった気になろうとしています。そのようにして自分が仏教をも利用しようとしていたことに気づかされる瞬間があるのではないでしょうか。しかし、仏様の教えは、私たちが安心したり、喜んだりするだけのものではなく、時に都合の悪い真実を突きつけることがあります。
 私自身、教化研究室というところに毎月出向かせていただいており、現在は『観無量寿経かんむりょうじゅきょう』の序分じょぶんについて学んでいます。『観経』のはじめには、韋提希夫人いだいけぶにんとお釈迦様しゃかさまが出会い、説法せっぽうの場面が書かれています。
 実の子供にしいたげられた韋提希は、この苦しみから解き放ってほしいとお釈迦様に問いかけます。しかし、お釈迦さまはその苦しみの根底には被害者意識が強く責任転嫁をし、自分の才覚で人生を渡っていこうという思いがあることを見抜きます。そこで、お釈迦様との対話の中で、苦悩を抱える衆生しゅじょうを救うというお釈迦様の願いに照らされます。お釈迦様からの教えは決して自分の都合の良いものばかりではなく、避けて通りたいと感じる真理や現実ばかりでした。しかし、その対話を通して、韋提希が自らを凡夫であったと自覚し、本当の自己の意欲に目覚めます。
 このような困り果てた韋提希の姿は、まさに私たち自身の姿でもあります。そして、仏法は、そのような自らが信じた力のみを頼りにする、自力から離れることができない私たちを受け入れ、自覚させてくれる鏡(かがみ)のようなものだと思います。
 真宗の教えとしてお念仏を称えることの重要さが言われていますし、皆さんも何度か聞いたことがあると思います。『観経』でもお念仏の重要さが言われています。そこから考えると、お念仏にある阿弥陀とは「無量」はかることを超えた慈悲のはたらきであり、誰しも救われるはたらきに出遇うことで、自分は何事も他とくらべることしかできない凡夫であるということを認識させます。そして、それを捨て置くことが難しい身であることを認識させてくれるのではないでしょうか。
 仏さまの教えは、決して都合の良いものではないかもしれません。しかし、その都合の悪い教えこそが、私たちに本当の意味での気づきと目覚めをもたらしてくれるのではないでしょうか。今私が教化研究室で学んでいる観経の序分は他人事ではなく、自分自身を表しているのだということを忘れてはいけないと感じています。


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真宗大谷派大垣別院開闡寺

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