№ | 放送日 | タイトル | 法 話 |
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764 | 2025年5月1日~ | たまたま | 第11組 本龍寺 土山泰弘 |
人生というものは人間関係の積み重ねだと常々感じます。この世に生を受けたときには親と関係を結び、成長していくに従って友人、恋人、同僚等々、多種多様な関係を結んで生きていく。しかしその関係性を長く保持できればいいのですが悲しいかな仲違いが起きて早々に終わりを迎えることも少なくありません。 それ自体は仕方の無いことですが、その際定型文のように耳にする台詞がございます。それは「こんな人だと思わなかった」という言葉です。私自身は口にした記憶はございませんが頭に浮かんだことは数知れずあります。 しかしよくよく考えてみれば目の前の人を「こんな人」とは言いますが、私は「どんな人」だと思っていたのでしょうか。 一年を時間に直すとおよそ九千時間。よほど密な関係であっても一緒に過ごすのは精々千時間程です。その程度の切り取られた時間でその人の人間性を自分勝手に確定させてしまっている私がいたということです。 さるべき業縁のもよおせばいかなるふるまいもすべし (『真宗聖典』六三四頁) 『歎異抄』に記された親鸞聖人のお言葉ですがまさしく名句。 人には人の都合があり、その都合が私の都合とかみ合うとは限らない。しかし私たちは、かみ合った瞬間を全てだと思い込み、その時「たまたま」かみ合っただけだとは想像も出来ていない。 つくべき縁あればともない、はなるるべき縁あればはなるることのある (『真宗聖典』六二八頁) 浅深の違いこそあれど、人間関係とは縁次第でどうなるかもわからない程、脆いものなのではないでしょうか。 ではどのように人間関係を生きていくか。「人間関係なぞいつか壊れるものだから大切にするものでない」と開き直ってしまえば孤独まで一直線でしょう。 しかし、例えば地獄の中でも最下層、無間地獄では嘆き叫びとして記されているのは、肉体的な痛みでは、なくひとりぼっちで寂しいという精神的痛みです。つまり「孤独」とは人間にとって一番辛い「苦」です。この孤独は一人では解決できません。誰かがいてくれるから孤独ではなくなるのです。 その孤独から偶然解放してくれた「たまたま」を大切にしませんか、この幸せは決して「当たり前」ではなく、「たまたま」なのですから、そして悲しみ怒りを抱えつつも「お互い様」と心のどこかで受け入れられれば幸福ですね。 我必ず聖にあらず。彼必ず愚かにあらず。共に是れ凡夫ならくのみ (『真宗聖典』九六五頁) |
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