№ | 放送日 | タイトル | 法 話 |
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766 | 2025年6月1日~ | 「ありがたい」 という事 |
第1組 了信寺 藤 恵行 |
以前テレビをみていた時に、あるお笑い芸人が、少年院にいる子供達にむけて命の授業と題して講義を行っている番組をたまたま見ておりました。漢字の成り立ちを利用して、これから更生して社会に出ようとする子供達の背中の後押しを行っておられました。「なるほどな」と感心してみていたのを今でも鮮明に覚えています。「女が土台になると書いて始という字になる。みんな女性から生まれてくる。だから女性は大事にしなければならない。優しくしないといけない。」「夢を実現しようとすると、その過程でいいこと、悪い事を吐くようになる。プラスのこともマイナスの事もどんどんはきだしてかまわない。ただし、夢を本当に実現する人は少しずつマイナスの事を言わなくなっていくんだ。吐くという字からマイナスを少しずつなくしていくと叶という漢字になるんだ。」言い当て妙だなと感心しつつ、いろいろな見方があるんだなあと思いました。子供達の背中を力強く押すには十分な言葉達でした。 しかしながら、その一連の話の中で違和感を覚えた言葉がありました。それが、テーマにも上げている「ありがたい」の解釈の話でした。「苦難、困難、災難、これらが人生に有る事を昔の人は有難いといったんだ。昔の人はすごいよな。逆に苦難や困難や災難がない人生を無難というんだ。君たちの人生は無難な人生じゃないよな・・・」と続いていきましたが、一見するとなるほどと感心しますが果たして本当にそうなのでしょうか? この部分にひっかかりを覚えてずっと考えていました。まず、有難い=感謝の言葉として広く認知されています。それゆえに上記のような発想になるんだろうなと思いました。そこから「有難い」という言葉にはその前提となる言葉が抜けているんじゃないかと考えるようになりました。苦難・困難・災難、これらがあるから昔の人々は有難いといったのでしょうか。これらの事象がおきた自身の人生に感謝したのでしょうか。決してそうではなく、その対義語にあたる無難であることが人生においては難しいと考えたのではないでしょうか。 誰しも辛く苦しい人生などではなく、平穏無事に終わっていく1日や一生でありたいと願っていたはずです。しかしながら、人としてこの世に生を受けて人生を歩むのに避けては通れないのが、苦難・困難・災難です。それらは大なり小なり人生にふりかかる。その日1日何事もなく、平穏無事に終える事ができた。それがいかに難しいことであったかを昔の人々は分かっていたからこそ「有難い事」であると認識していたのではないかと思います。有難いの言葉の前に「無難である事」という言葉があることを念頭において、その日1日を無難に過ごせて終えることができた事に感謝しなければいけないと改めて感じた次第です。 |
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