№ | 放送日 | タイトル | 法 話 |
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771 | 2025年8月16日~ | 村祭りにて | 第8組 池野東教会 廣澤全晶 |
私の住むお寺のすぐ側に小さなお宮さんがあります。「天神さん」との愛称で、日々の参拝客のほかに夏休みのラジオ体操や盆踊りの会場として利用されたり、私たち住民にとても親しまれています。 四月には年に一度のお祭りが開催されます。今年は天候に恵まれておよそ六年ぶりに神輿渡御を行うことができました。地区の人間にとっては思い入れの深いその神輿は二十人ほどの大人が協力しても簡単には担げません。しかもリハーサルなしの一発本番です。湯水のように振る舞われる御神酒が人々の血液を沸騰させていきます。 練り歩きが中止されていたこの数年の間にも、地域に尽力してくださった先輩方が一人また一人と先立たれていかれました。会所に飾ってある最新の記念写真に映る顔ぶれとはだいぶ様変わりし、無情な時の流れを痛感しました。 渡御の間、私は緊張と興奮とで意識がぼんやりしていました。相当酔っているせいでしょう、そこには、いないはずの方々の名前を呼べば顔や姿が自然と脳裏に浮かんできました。もっと言えばその辺から我々の姿を優しく笑顔で眺めているような、久しぶりに再会できたような心地がしたのでとても嬉しくなり、より一生懸命に担げました。 私のこの身体は、命は、この世で役目を終えたあと一体どうなるのでしょう。どうにかして働いて家族を養わなければという焦りは、いつも私のみぞおちのあたりを締め付け、これだけの苦労を買った挙句、命尽きる時が来ればとなれば全部水の泡になってしまうのかと思うとため息も出ません。 神社でもお寺でもいつでも面倒を見てくださった村の長老方には晩年「おめえらあとのことは頼むでな」などと何度も言ってくださりましたが、その時は何の琴線にも触れませんでした、しかし諸仏となられてから、その言葉の重みが増し、生きた言葉として温もりを感じるではありませんか。 大切な方との別れのたび、心が締め付けられるように痛みます。それはとても辛いことです。でも不思議なことに同時に温かい記憶がじわっと蘇りもします。健康でいたい、一日でも若くいたい、もちろん死にたくないし、できるなら幸せになりたい。 これら誰もが抱える悩みのタネが裏腹に私にとって生きるための糧になっています。矛盾が私を生かすという、白黒つけられない現実を仏さまは静かに見届けてくださってます。 |
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